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ミーコワールド

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叩き壊しちゃイケナイネエ!



  [叩き壊しちゃイケナイネエ!]

何事も慎重にする事はいい事だ。

用心深くジックリ考えて、それからもう一度検討して、それから再度考えて、

というやり方は本当に大切な事である。

そういうやり方を「石橋を叩いて渡る」と言う。

おそらくそういうやり方で生きている人は失敗も少ないだろう。

家族がいたり、守らなければならない物があったりすると尚更の事である。

その代り冒険は出来ない。

冒険をしない事がいいとかいけないとかいう事ではなく、

冒険という事に対して躊躇を余儀なくされる事が多いという事だ。

ある程度の検討も用心深さも必要な事はいう迄もない。

しかし、余りにも用心深過ぎた為にチャンスを逃してしまったという事にも

なり兼ねない。

チャンスを逃したのが自分であれば諦めも付くがそれが自分でなく

わが子の事であれば子供の中に後悔が残るであろう。

「ほどほど」のむつかしさがここにあるといえる。

親であれば安全に生きて欲しいと願うのは当然であるが

人生の要所、要所でその選択をする時、余りの慎重さゆえに

チャンスを逃したともなれば後悔先に立たずである。

あらゆる事に於いて同じような事が言えるのではないかと。

結局、石橋をたたくだけなら誉められもするが、石橋をたたき過ぎて

悪い結果が残るという事になってしまえば

「過ぎたるは及ばざるが如し」である。

むしろ失敗をして反省する方が良かったかもしれない。

失敗と困難は良きにつけ悪しきにつけ「人を賢くするもの」である。

石橋をたたき過ぎて悪い結果が出る事を

「石橋をたたき壊すようなもの」と言った人がいる。

上手く表現したものだと今でも感心している。

「石橋をたたき壊してしまったのでは渡れないヨ」というのである。

その通りかも知れない。

石橋をたたくだけなら石橋は残る。

残っていれば又いつか渡る日が来るかも知れない、が

たたき壊してしまったのでは渡りたくても渡れないのである。

そんな事って心当たりがないだろうか。

私には結構ある。

私の場合は石橋をたたいてたたき過ぎて壊してしまう、というより、

よく考えもせず返事をしてしまうようだ。

自分のしたくない事から逃げたい方が先行するようだ。

いかんともし難い性格でホトホト自分でも手を焼いているというのが

実情なのだが。

そんな性格に気が付いてからは何でも即座に答えないようにしている。

それが又誤解を生む事になっているようだ。

いわゆる「石橋をたたいて渡る」のでなく、慎重過ぎて

「石橋をたたき壊している」ように見られるらしい。

チャンスを逃すのは仕方がないと思っている。

そんな時私はチャンスを逃したとは考えずに

「縁がなかった」と思う事にしている。

「縁」があればいくら放っておいても成り立つ事は成り立つだろうし

「縁」がなければダメになるものだと思っている。

話が進展しないのも縁というものと思っている。

そりゃ、努力や取組み方の姿勢の問題もあるだろうが・・・。

事の成就を願うばかりに心にもない事を言ってみたり、

相手が喜びそうな会話を考えてみたりする方が問題だと思っている。

だとしたらやはり物事の成就には「石橋をたたく」程度が一番いいのだろう。

たたき過ぎては相手を怒らせてしまうか、乗り遅れてしまう。

その結果何も残らないだけでなく後悔だけが残る事になるのだろう。

何事もたたき壊してはいけないのだとつくづく思う。

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